「多良間島「八月踊り」と台風12号(ウィパー)」


2007年9月18日 


 多良間島は宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する東西5.8km、南北4.4km、周囲26.2kmの楕円形をした島である。この島の多良間村の歴史は古く、かつて琉球王朝との交流も盛んに行われた。島では旧暦8月8日(今年、2007年、太陽暦では9月18日)から3日間にわたって、豊年祭の「八月踊り」とよばれる、神事とお祭りが行われる。八月踊りは400年の歴史を持ち、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。琉球王朝時代、首里から伝わったとされる踊りや古典芸能が演じられ、その華やかさは琉球王朝時代を偲ばせる。多良間村の集落は古い首里の街にそっくりなのだそうだ。このとき人口1500人たらずの村は多くの人でわきかえる。帰省客や観光客をはじめとして、報道関係者、さらには民俗学者などの研究者も訪れ、島内の宿はいっぱいでになる。

 島の人から、八月踊りのころは台風がよく来るということを聞いていた。しかしながら、今年、まさにその日に台風12号ウィパーが接近するとは誰も思わなかっただろう。熱帯低気圧が台風12号に変わったのは、そのわずか2日前の9月16日である。その2日前には熱帯低気圧にさえなっていなかった。9月16日、多良間島は晴れて天気がよく、日差しは強かったが風は乾いていて心地よかった。好天のなか、島では幼・小・中・合同の運動会が行われた。天気がくずれ始めたのはその日の夕方からである。夜には雨が降り始めた。17日には台風の接近とともに、その最も外側の降雨帯がかかりはじめ、ときどき非常に激しい雨となった。多良間島域はその日の真夜中から台風12号の暴風圏にはいった。そしてたいへん残念なことに、八月踊りの行われる18日は最も激しい風と雨に見舞われてしまった。

 急速に発達した台風12号は宮古島、多良間島の南150kmほどを北北西に進み、17日午後には960hPaに達した。18日には西表島がその眼の中にはいり、その日の未明には930hPaにまで達した。午後6時に台風は与那国島の北西に達した。非常に強い台風12号は先島諸島に大きな被害をもたらした。直撃した石垣島では、車が横転、道路が冠水、1万世帯が停電するなどの大きな被害が出た。西表島では観測史上2番目の最大瞬間風速65.9m/sを記録した。気象庁のカテゴリーでは「非常に強い」台風にランク付けされた。宮古島地方は12時間にわたって暴風圏に入り、農業や水産業に大きな被害が出た。数日前に沖縄県久米島に大きな被害をもたらした台風11号もそうであったが、この台風12号もわずか2日間で70hPaも気圧が低下するという驚くほどの急発達をみせた。

 台風12号は中心気圧が低く非常に強い風を伴っていたことと、石垣島・西表島付近を通過したという点で、昨年ほぼ同じ時期にこの付近を通過した台風0613号と似ている。どちらも大きな被害を先島諸島にもたらした。昨年は数日ほど「八月踊り」より早い時期に通過したので、多良間島では被害はあったものの、この祭事は行われたであろう。今年はまさにその日だった。ただ、その暴風の中でも神事だけは行われたということである。翌19日は天気も回復したので、「八月踊り」が行われた。午前に到着した飛行機は満席で、報道関係を含めた多くの来客や帰省客で空港は混雑した。「八月踊り」はその昔、薩摩藩に重い税を払い終わったお祝いに盛大に行われたという。せめてこのときぐらい台風の災いのない日であってほしいとどれほど祈ったことだろうか。



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