[Japanese]
博士論文要旨(西井 章)
複雑地形上で形成された準停滞性線状対流系の維持機構と発生環境場
西井 章
準停滞性線状対流系(以下、線状対流系)は継続的に発生する対流雲(積乱雲)群が線状に組織化され、数時間以上にわたりほぼ同じ領域に停滞する降水システムである。線状対流系によってもたらされる大雨域(高積算降水量域)は「線状降水帯」と呼ばれ、日本で発生する集中豪雨に伴う降水域の約半分が該当していることから近年注目されている。しかしながら、線状対流系の発生位置や維持機構は対流圏下層の風向・風速、水蒸気量などのわずかな変化に大きく影響されるため、そのもたらす雨量の正確な予測は依然として困難である。線状対流系の維持に重要となる要素は事例により異なるが、本研究では特に山岳(地形)が重要となる線状対流系(以下、地形性線状対流系)に着目する。
本研究の解析対象は、四国東部の高知県室戸半島から北に延びる長さ50 km、幅10 km程度の線状対流系(以下、室戸ライン)である。室戸ラインは暖候期に山地上でしばしば出現することから、四国東部の山地により暖湿気塊が持ち上げられる斜面上昇流によって継続的に対流雲が発生することで維持される地形性線状対流系であると考えられる。地形性線状対流系は湿潤環境場で対流圏下層および中層の風向、風速が特定の条件を満たすと出現しやすいことが先行研究により示されている。また、四国東部の山地は、様々な方向に延びる水平スケール20 km以下、標高500–1500 m程度の尾根や谷(以下、小スケール地形)が多数分布する複雑地形が特徴である。複雑地形上では小スケール地形が降水の発生や強化に寄与しうることから、どのような小スケール地形が室戸ライン維持に重要であるかを解明することは複雑地形上で発生する線状対流系の維持機構の理解に寄与すると考えられる。しかしながら、室戸ラインの詳しい発生環境場やどのような小スケール地形が維持に寄与したのかはこれまで未解明であった。そこで、本研究では室戸ライン発生に寄与する発生環境場の特徴を統計解析により、室戸ライン維持機構における小スケール地形の寄与を事例解析により、それぞれ明らかにすることを目的とする。
最初に、室戸ラインの発生環境場を地上観測と再解析データを用いて統計的に調べた。まず、気象レーダーの結果から1時間積算降水量、発生地点、水平断面における降水域の長軸の方位、長軸・短軸の比、継続時間などの閾値を設定して、室戸ラインを定義した。この定義を用いて、2004年から2022年の暖候期に2時間以上持続した室戸ラインを20事例抽出した。20事例のうち18事例で室戸ラインによる降水域内で観測されたレーダーエコー頂高度に顕著な相違が認められた。そこで、降水域内において8 km未満のエコー頂高度が支配的である12事例をLow-top事例、8 km以上のエコー頂高度が支配的である6事例をHigh-top事例に分類して発生環境場を比較した。両事例とも地表面付近の風向は東南東から南南東と東成分をもつ南風であったこと、高度1.5 km以上では南風であったこと、下層から中層まで非常に湿潤かつ条件付き不安定な環境場であったことが共通していた。一方、Low-top事例はHigh-top事例に比べて対流有効位置エネルギー(CAPE)と浮力中立高度(LNB)が低い傾向にあり、深い対流は発生しにくい環境場であったことが示された。また、総観場を確認すると、Low-top事例では室戸ラインの西方800 km以内に熱帯低気圧(台風)が、東方に太平洋高気圧が全ての事例で存在しており、両者の間で南からの強い地衡風が流入する場に室戸ラインが位置していた。High-top事例も同様の総観場ではあったが、太平洋高気圧がより西側まで張り出しており、太平洋高気圧の縁辺流が流入する場に室戸ラインが位置していた。総観場の違いからLow-top事例ではHigh-top事例に比べ風速が大きく、その結果鉛直シアがより強く水蒸気フラックスも大きい環境場となっていた。
次いで、Low-top事例の例として2018年7月3日の事例を、High-top事例の例として2018年8月15日の事例を選び、それぞれの詳細な内部構造や維持機構を地上観測および再解析データを用いて解析した。まず、室戸ラインに沿ったレーダー反射因子の鉛直断面図を解析した。強雨(降雨強度20 mm/h以上)の形成に対して、Low-top事例では融解層高度よりも下層における雨滴の併合成長(暖かい雨)過程が、High-top事例では霰の成長と融解(冷たい雨)過程が、主に寄与していることが示唆された。Low-top事例では、強い下層風に伴うより大きな水蒸気フラックスによって雲粒や雨滴の衝突併合成長が急速に進んだ結果、比較的背の低い対流雲が強雨を形成したと考えられる。次に、室戸ラインの降雨強度の水平断面図より、両事例とも室戸ラインの南端で継続的に発生した対流雲が強雨をもたらしながら北上することで線状の強雨域を形成していたことを確認した。また、強雨域の北端が対流雲の衰退位置と一致していた。これらの点から、室戸ラインの維持機構は両事例とも、暖湿な東南東から南南東風が室戸半島の山地で継続的に上昇することで発生した対流雲が、対流圏中層の南風によって北に移流することで線状の構造を維持するバックビルディング型であったことが示された。対流雲が継続的に発生していた室戸ラインの南端には、南南西から北北東に延びる長さ10 km、幅5 km、最大標高750 mの小スケールの尾根(以下、SR)が分布している。SRと室戸ラインの南端の位置関係に注目すると、地表面付近が東南東風であったLow-top事例前半はSR上に、南南東風であったLow-top事例後半とHigh-top事例はSRから約5 km東に位置していたことが明らかとなった。Low-top事例の前半は、最下層の東南東風とSRの走向がなす角度が大きかったことにより、SRにおける斜面上昇流によって対流雲が形成されたと考えられる。一方、Low-top事例後半とHigh-top事例では、最下層の南南東風とSRの走向のなす角度が小さくなった結果、SR南端付近で最下層風が転向して南南西風となり、SRの東側で南南東風と収束することで対流雲を形成していたと考えられる。
最後に、室戸ラインを含む日本の6つの山域で発生した地形性線状対流系の発生環境場や地形の特徴を調べた。いずれの地形性線状対流系も暖気移流場で発生し、その走向は対流圏中層の風向と一致していた。また、線状対流系の起点における地形の複雑さは山域により異なっていたが、最大標高500 m以上かつ、最下層風に面した標高200 m以上の斜面で約20°以上の傾斜が支配的である点が共通していた。湿潤環境場の場合、このような斜面に5 m/s以上の水平風が衝突すると理想的には1.7 m/s以上の強い上昇流を獲得しつつ持ち上げ凝結高度(LCL)まで到達可能である。これらの知見は他の山域で発生する地形性線状対流系の発生環境場や維持機構の理解に寄与すると考えられる。
本研究では同じ山域を起点する線状対流系であっても、発生環境場の違いにより事例により対流雲の深さが大きく異なる場合が存在することを初めて示した。また、複雑地形上で出現した線状対流系の維持に寄与した小スケール地形を特定し、その維持機構は小スケール尾根と最下層風のなす角度により説明できると考察した。
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