青レーダ観測日記

さよならしめ飾り。

鏡開きstorm特別観測編!

2001年1月21日(1月15日以降のかなだの日記)UPDATE

 

2001年1月10日(水)

(かなだ)

 金沢からの電車が遅れたため、14時押水町役場着。

 風弱く、暖かい。

 アンコンの調子は相変わらず。

 

 MT装置は、デバイスフォルトの出しまくり。

 その他は、異常なく動作。

 しかし、NO ECHO。

 

(ぷる)

 朝の地下鉄は混み込み、バックパック状態だった。

途中の特急から、伊吹山が右手に映えていた。(左手には琵琶湖)

10時ごろに武生を通過する頃には、小雨まじり、雲は低く、

のっぺり&端っこは不明瞭徐々霧が出てきた。金沢着後、

お昼ごはん、「能登和牛弁当」で気力充実、おいしかった。

この頃(13時)には、空は一面に白っぽい。でも、ノーエコー!

なぜだー!...と思いつつ、本日の作業に取り掛かる。今日は、

温度計、微気圧計、風向風速計、(いずれもKADECのロガ−)の初動

テスト。北大以来、久しぶりに触るので少々忘れ気味。思い出しつつ、

とりあえずは確認済み。とはいえ、PCのフロッピーディスク・ドライ

バーがなかった&風向風速計用にポールが必要なので坪木さんに持って

きていただくことに。とはいえ、トラブルがあったらしく、まだいらっ

しゃらない。もう18時、あたりはすっかり暗くなってしまった。風向

風速計の設置は明日になりそうな予感!?...さて、フロッピーでソフ

トを立ち上げてチェックする必要があるが、まだできないので、暇にな

ってしまった。とりあえず、メールを整理しつつ、先生の到着を待つ。

カモ−ン!

 

 

 

2001年1月11日(木)

 

(出世)

18時すぎ、1日遅れで押水入り。レーダサイトでは坪木さんと金田さんが暖かく向かえてくれた。古川さんは全天候型測定データ記録装置と戦っていて、しばらくおしりだけが見えていた。クリスマスstormとにゅーいやーstormとは違って、夕食も4人でにぎやかにいただきました。食後、坪木さんがわさびをおつまみにお茶を飲んでいて不思議に思いましたが、「これがうまいんだ。」と仰るので、私もやってみた。やっぱり鼻にツーんと来て少し涙が出そうになった。こうやってこれまでにもいろんな人を泣かせてきたにちがいない。

思ったより風は弱く(といっても決して弱くはないんだけど)まんまるお月様の綺麗な夜でした。

 

(ぷる)

今日は地上気象観測機器(KADEC)の設定と取っ組み合いでした。なんだか、観測に来ると

いつも設定をするのにああでもない、こうでもないとやっているような気がするのだけれど

()。昼間、立ち寄ったレストランの窓が、強い風に飛ばされた板の切れ端で割れていた。お店

の人は、竜巻だったとおっしゃっていた。なんでも、7年前ぐらいにも同じ様な被害にあった

とかであった。おそろしやさてさて、その後は、昼、夜と、設定に頭をひねっていたのです

が、夜はご飯を食べすぎたか?!ひねっているうちに居眠りをしてしまいました。帰ってきて

も、なんでだー!?と、頭の中でぐるぐる。お風呂の順番まち、をしていたはずだったのだけ

れど、気がついたら、いつの間にか寝ていました、なぬー!ぴよぴよ♪

 

(出世)

昨日の夜のぷるさんは目もうつろで抜け殻のようでした。設置、お疲れさまでした。竜巻かぁ。一度この目で見てみたい。。。

 

(かなだ)

111日「寒冷前線通過〜竜巻とニアミス?」

 

 前日の予報によると、寒冷前線通過予定。

 朝八時半からレーダサイトに入り、0936LSTに観測を開始する。

 エコー頂が5km前後あったため、YAKUBA4をセレクト。

 午前から昼過ぎにかけて、南西から北東に延びるバンド状降水システムが南下。

 一回だけだが雷も聞こえ、外で鉄のポールなどを使って作業していたT木助教授

F川隊員をびびらせた。

 正午すぎ、なんとなく気まぐれで、ディスプレイの画像(エコー強度、ドップラー速度)

をデジカメで撮影。さらにカメラ片手に外に出ると、激しい風とともに、大粒のみぞれが

降っていた。

「金田さん、あの雲撮って」

 というT助教授の指示で、サイトから向かって南西方向の黒雲を撮影。

 真っ黒な上、雲底が垂れ下がり、不穏な感じ。

 風やみぞれと戦いながらも撮影を終えたときには、T助教授はすでにシェルター内に

避難されたあとだった。

#この「なんとなく」で撮影した画像に、実は重大な情報が?

 

  午後一時前、昼食のため、今出付近の喫茶店へ行く。

 どういうわけか、窓ガラスが割れ、ガラスが飛び散っていた。

 オーナーの話では「竜巻が来た」とのこと。

 しかし「あたりが真っ暗になって、強い風が吹いてきた」という証言だけでは、

突風か竜巻かはわからない。

「まさか、竜巻ではないだろう」と思いつつ、被害状況をデジカメで撮影。

 ところが……。

 

 役場に戻ると、衝撃的な事実が!

 某教育委員会の方が、昼過ぎに役場から竜巻と思しきロウト雲を目撃したとのこと。

 時刻と方角から総合すると、昼すぎに何気に撮影したレーダエコーと一致する。

 ということは、あの黒雲も?

 

 午後四時、北陸放送の方がインタビューにいらっしゃる。

 外行きのお顔でかっこよく応じられるT助教授。

 記者の方によると、この日羽咋市でも竜巻と思しきもので被害が発生したらしい。

#データ、取れてるはずです。真相は、レーダデータ解析を待て?

 

 夕方、Shuさん、登場。遠方よりゴクロウサマです。

 

 

【本日の大失言】「かなださん、皮膚の下に一枚違うものを着てるんじゃないですか?」

(お風呂の水が、熱いかそうでないか論じているときに)

 

《反論》上の発言、正しくは、「かなださん、なんか一枚着てませんか?」

(ご指摘にあった、その他の言葉は言ってません。とはいえ、言うべきじゃなかった

かなぁ?。すみません。反省。)

 

 

2001年1月12日(金)

 

(出世)

赤レーダから火が噴いた!

トラブルです。赤レーダの大東くんより焦げ臭い、との連絡があった。てっきり名古屋から持ち込んだ「もち」を七輪で焼いて食べたからだろうと思っていたら、どうやら送受信装置から光が出たらしい。青レーダにいた坪木さんも慌てて赤レーダに移動。原因の1つの可能性として結露が考えられるらしいが、ずっと観測を続けている状態なのでそれはないだろう。そうすると、やっぱり、焼いて食べていたもちの切れっぱしが送受信装置にへばりついたんだろうか。。。こんなのんきなことを言っている場合じゃない、、、ですね。すみません。早く復旧できるように祈りましょう。

今日はレーダサイトの北と南、それぞれ30kmのところに主風向に平行で東西の走向をもつ帯状エコーが停滞している。レーダサイトでは降水、降雪はほとんど観測されていないが、1日中猛烈な風が吹いている。もし竜巻が発生したら見逃したくないと思ってシェルターの外に出て、北側のエコーに対応する雲をしばらく眺めていたが、そんなに簡単に発生するものでもなく、、、今日はジャンプしなくても立っているだけで風に吹きとばされるくらいでした。吹き飛ばされたといえば、金田さん。ご本人の証言によると、ポットのお湯を入れに行く為シェルターを出たところで2mくらい飛ばされたらしい。被害はポットの底の破損(修理済み)と左手の親指の爪の先が割れちゃいました。割れた部分の一部がまだくっついていたので、「出世さん、この爪(の割れた部分)引っぱって。」とお願いされたけれど(自分でとるのは痛いので)、とても私に金田さんの爪を引っぱるなんてことはできません。この仕事は古川さんになすりつけました。でもこのお役目はさすがに古川さんにも重かったようで、結局は坪木さんが。。。

 

(ぷる)

今日は、昨日のお仕事の続きをしていた。とりあえず、いろいやっていたらうまくいってしまっ

いったい何が原因だったのだろう?うむむむ(笑)。データ自体はちゃんと取れていること

がわかったので、ひとまずはオッケーである。ようやく設置することになり、温度計用にペット

ボトルを工作して、覆いを作っていたが、ついついこだわってしまった()。その他、微気圧計、

風向風速計の方は、とりあえずリアルタイムで「値」だけは見れるように配置した。ただし、風

向風速の表示板は逆さまに置いてあるので、ちゃんとみるには多少、頭の体操?!が必要である()

 買い物にいったん外に出たのだけれども、突然?!途中の道でアラレが強烈に降ってきた!

しかも、本当に?!「アポロ」の形だった!こんなに強烈なアラレは初めてという気がする。

大体5mmぐらいの直径で、指で押すとつぶれるぐらいの硬さだった。ついつい、本当に「アポロ」

チョコレートを買って来てしまったのには、我ながらびっくりである♪()

 その他の事件?!といえば、お昼ごろに赤レーダーが止まってしまったことだった。その時間、

上空では、レーダー観測を見計らって、飛行機観測が行われていたのだったが残念であった。と

はいえ、やっぱり?ちょうどいい具合に、坪木さんがいらしたのでその後の対応がすばやくでき

てよかったように思う。それに、火を噴いた?!時、M1のみんなが居たので、早めに事故にき

づく事ができたというのも幸いであった。そういう意味では、レーダー君?も時を知っていたよ

うで、なんだかそら恐ろしい気もする()

 それに、金田さんが風にむかってダイブ?!してしまった(微妙な表現(())のには、驚かされ

た。自分のお体より、ポットを守ろうとした姿には感服いたしました。とはいえ、割れた爪を引っ

張る勇気はありませんでした、ハイどうも()

 思えば、この日のエコーは、あんまり記憶に残っていない。というのも、他のお仕事につきっき

りで画面をみている余裕はなかったのだった。他の3人がちょっとうらやましかったりして()

とはいえ、KADECの設定からようやく開放されて、ひと段落です。夜のごはんは魚づくしでおい

しかった。とはいえ、体重計に乗ってみるとどうやら一日に一kgの割合で増えている様である。

外で運動することが必須であろうか、たとえ大雪でも♪()。観測太りというのはやっぱしある

んだと「身をもって」実感した時でもあった()

 夜は坪木さんがお一人でレーダーに残っていろいろとお仕事をされるようだ。他の3人は、今後

のことも考えて宿で休むことに。青レーダーのM1のみんなは本日〜明け方にかけて、3地点(赤

レーダー、山田公民館、鶴来)で雪の接写観測をするとのこと、ファイトじゃ〜!

 

(かなだ)

112日「雪雲観測一日目〜ちょっと飛んでしまいした」

 

 昨日は、あわや竜巻と遭遇す? というめったにない体験をしたが、

本日も朝からめったにない体験をした。

 湯沸しポットを抱えて、ちょっと飛んでしまった。

 今日は朝から「いよいよ雪観測だ」と気合が入っていた。

 ところが、目覚めてみれば晴れ。ときおり雪やあられがちらつく程度で、

私の気合は行き場を失った。

 そのとき、小さなシェルター内で、F川君は測器の設定をしていた。

 Shuさんはインターネットのチェックに余念がない。

 T助教授は、寝袋の上で睡眠学習中。

 やることがなくなった私は、水を補給すべく湯沸しポットを持ってシャルターを出た。

 前室のドアを開けたとたん、強い風。この風にあおられて、ドアが勢いよく開く。

 ドアノブをつかんでいた私も、引きずられてすぽんっと、さながら畑から抜かれる

大根のように……水平投射されてしまった。湯沸しポットを抱えたまま。

 手が塞がっていたため、左肩からもろに着地。

 そのときは、大したことはないと思っていましたが、爪は割れるし、後で見たら左肩に

青アザができていました。

 日記のネタを拾えるのがいいが、身肉を切るのは、ちと辛い。

 

 昼すぎ、赤レーダから急報。レーダが火を噴いた!

 赤レーダにたまたまM1が全員揃っていたこともすごいが、青レーダにT助教授が

いらした偶然もすごい。壊れ所を心得ているのか>青レーダ。

 早速T助教授、赤レーダに向かう。

 赤レーダの自力修復は絶望的とのこと。これより、青レーダシングル観測に。

 この夜は、押水に戻られたT助教授が、青レーダで徹夜観測を。

 夜の十一時過ぎから、降雪開始。

 寒気は十四日夜から十五日にかけて、ピークを迎えるそうだ。

 覆面の気象予報士(?)レイちゃんさん(プレスデビュー済み)の概況メール

がとても心強い。今、一番知りたいことを端的、かつ的確に教えてくれるのです。

 

#古川さんの日記を訂正します。「風に向かって」ではなく「風にそって」飛んだんです。

 

 

2001年1月13日(土)

 

(かなだ)

113日 「雪」

 

 私事でいったん名古屋に帰る。

 朝六時という時間にもかかわらず、T助教授が車で宿から駅まで送って下さる。

 ありがとうございます。

 宿から外に出てびっくり。いきなり雪が積もっていた!

 宿付近で積雪深約3センチ、駅前約4センチ、駅裏約10センチ。

#これもいわゆる振り分けか?

 T助教授の話では、下層で北東の風が吹いているとのこと。

 上田先生も触れられた陸風か?

 

 電車を待つ間に、降り止んでいた雪が再開。

 M1ズたちは、無事に雪の接写観測をしているだろうか。

 さぞかし、いいデータが撮れたに違いない。

 自分たちで企画して、実行に移す。そのバイタリティーに脱帽。

 朝6時11分、金沢行きの鈍行に乗る。ひとまず「さよなら、押水」。

 

 金沢へ向かうまで、雪は次第に減っていった。

 福井周辺では、雪は雨に変わっていた。

 南に向きを変え、米原に差しかかるころには再び雪。

 名古屋は、晴れ。

 

 夜、新潟の実家に電話したところ、昼頃から降り出した雪が十センチほど

積もったとのこと。

「今日は(雪が)静かに降っているから、危ないね」

 これは、『静かな雪が降るときは、海岸線でも雪がつもる、いわゆる里雪』

であることを差している。

 

 北陸にいる皆様、ご苦労様。

 健康に気をつけて頑張ってください。

 金田も早く、戦線に復帰したいです。

 

 

 

(ぷる)

 

 今日の午前中は、昨日のソフト上の問題を考えていた。どうやら、問題はKADECを読み込むプロ

グラムを動かすプラット・フォームにあるようだ。(フロッピー立ち上げか否か)イマイチ、MSD

OSを駆使する知識がないので、ペンディングすることにした。とりあえずはなんとかいいかなぁ、と

思う()。それにしても、今日はやたらに雪が降ってい接写観測はうまくいったとかで、よかったと

思う。なんでも、雪の「降り分け」が観測できたとのことだった、すごいではないですか!&M1の

みんな、お疲れ〜。お昼から帰ってきたら、役場の屋上に雪が7、8cm積もっていて、思わず持って

きたスコップで雪掃きをしてしまった。ここにきて長靴もついに役に立ったというところである()

 昼2時まえに役場の除雪担当の方が来られて、今後の降雪はどうなるのか?ということだったが、

ご身分がわかったのは、お話された後だった。そうと聞いていれば、もうちょっと慎重に?!言えば

よかったのでは?と少々後悔、先に立たず()。とはいえ、これから明日まで降り続きそうである。

(上空5000メートル付近に−40℃以下の強い寒気が来る模様のため)。今夜の観測体制はどうすべ

きか思案中である。今は、佐野くんが半徹夜明けなのに鶴来からこちらに来てくれ、レーダーの画面

をかなり「真剣に」見つめている。さすがM1パワーだなぁ?!、と思いつつ()

 さて、すこし暇ができたので、外に出て雪かきを持ちながら?軽く運動した。出来たものは、どう

みても「ゆきネコ」でした()。それはそうとこっちにきて久しぶりに運動らしい運動をした様な気が

する…(本当はゆき「ウサギ」をつくりたかったんですけど(笑)。) 今夜は、明日の晩の接写観測の

こともあるので、佐野君と宿に残って休むことに。出世さんは観測に行かれた。やる気あるなぁ、と

関心しつつ。(おいおい!())とはいえ、宿に居ても、雪がどんどん降り出しているのがわかった。

佐野君と二人で窓開けて、「すっげー!」といいつつ。明日、出世さんは帰ってこれるのだろうか?

ファィトじゃ〜。こっちに来てみて、雪も面白いなぁ、と思っているこの頃だった。

 

 (さの)

 昨晩は雪の接写で鶴来に居ました。鶴来に到着した時、あたりは雪が積もっていて、一面銀世界でした。

夜は断続的に雪が降り、接写もそれにあわせてやるという感じでした。その最中、なかなか面白い(かな?)現象が見られました。午前145分頃から約30分間降雪があったのですが、その間で、降り始めぼたん雪→粉雪→ぼたん雪→あられ→ぼたん雪→粉雪→止むという移り変わりが見られました。粉雪を見ると、結晶も肉眼で確認できました。雪に触れる機会の少ない自分にとって、とても新鮮な出来事でした。

 翌朝、旅館の女将さんに鶴来周辺の降雪について少しお話を聞きました。ここ数年、雪が少ないそうです。昔は、2階建ての家の1階の屋根の部分まで雪が積もったそうです。また電信柱が埋まるくらい雪が積もるほどの、記録的な積雪があったそうです。

 また押水へ向かう道中、七尾線周辺はあたり一面雪で覆われていました。そして七尾線を走る電車は吹雪を諸共せずに走り続けました。

昨晩から今日にかけて、雪のすごさを目の当たりにしました。これからの雪国での観測生活。果たしてどうなることやら…

そしてトラブルで停止中の赤レーダが早く復旧して観測ができることを祈ります。

 

 

(出世)

昨日金田さんを襲った強風は、今日はすっかり止んでいた。しかし、お昼過ぎまで降っていた雪はぼたぼたとまるで地面に吸いつけられているような勢いであっという間に辺りを真っ白にしてしまった。これまでのクリスマスstormと、にゅーいやーstorm観測では雪の降り始めには海から陸に向かう猛烈な西風が吹いており雪も真横に流されていたが、今回は風も弱く、雪切片はむしろ山から海の方向に流されていた。にゅーいやーstorm観測の最終日を思い出させる、まさに「しんしん」と降る雪だった。レーダで見ると、ほぼ全高度で西風が吹いていたが、ごく下層では南風であった。RHV(鉛直断面)では、これまでの観測で最も高い高度である約7kmまでvelocityが観測されていた。興味深かったのはレーダエコーが2層構造をしているように見えたこと。この解釈は、、、?うぅん、眠くなってきたので、また明日考えることにしよう。今日はなんとなく徹夜観測の気分。2200頃、Tモードのレーダエコーが顕著に見え始めたので、「なかなかいい感じや。」と思っていたが、2300頃、急激に観測領域内のエコー面積が減ってきた。むむ。今となってはもう宿直の方を起こして帰るわけにもいかないな。今夜はシェルターで過ごすことにしよう。あっ、外で急にあられが降り始めた(2340)。高度4kmの対流性エコーがレーダサイトを通過中。

 

 

2001年1月14日(日)

 

(出世)

いつのまにか午前3時。まじめに徹夜すれば、古川さんと同じく単調増加している体重も何とかなるのだろうけど、なにしろシェルターの中は非常食が豊富すぎる。袋の口のあいたバナナマフィンが置いてあったら、小腹のすき始めるこの時間なら誰でも手が出ちゃうよね。一時はエコーもなくなり、またもや徹夜するための徹夜観測になってしまうのかと心配したが、能登半島の先端付近と若狭湾周辺にそれぞれ東西に伸びていた帯状のエコーが南北にひろがりつつあり、青レーダ観測領域内にも入ってきた。エコー頂が5〜6kmの立派な対流性エコーも故障中の赤レーダサイト付近を東へ移動している。赤レーダの高松さんからはすでに数時間前に「こちらはno echoで〜す。(^^)」と連絡があった。下層には北寄りの風が入っているが、その厚さは時間とともに増している。中層では西風、上層では南西風で、鉛直シアもみられる。こんな調子じゃなかなか眠れないじゃないか。寝不足は美肌の大敵。こんな時こそT木さんが青レーダ観測隊の為に買ってくれたチョコラBBを飲まなくちゃ。

そしてまたいつのまにか午前7時。朝食の時間に合わせてそろそろ帰ろうかと思いドアを開けると、しまった!長靴が凍っていて履けないよー。解凍時間約20分。そして20分後、シェルターのドアを覆うように取り付けてある前室のドア(つまり一番外のドア)を開けようとしたら、ピクリとも動かない。仕方なく何度か体当たりしてみたが、×。そういえば、ゆきんこ金田さんからメールで、「凍ってシェルター、もしくは屋上のドアが開かない、なんてことがないように、魔法瓶にお湯を作っておいてくださいね。」との指令が下っていたことを思い出した。そうか!ドアが凍っているから動かないんだ!徹夜明けの私はそんなことにも気がつかず、「このままシェルターから出られなくなってしまうんかなー。ま、電話があるからなんとかなるか。」なんて一人でじたばたしておりました。

 

 

 

2001年1月15日(月)

 

(出世)

青レーダ観測日記フアンの皆様、こんにちは。こちらは今大変なことになっています。現在(1700)押水町役場の屋上では積雪65cmを超えています。屋上一面が「雪見大福」のようです。いよいよシェルターも埋まりつつあります。能登半島の西岸で停滞しているレーダエコーに伴い降雪が続いておりいっこうにやむ気配はありません。命の危険を感じ、昼頃から雪かきを始めました。シェルターのドアの入り口付近から役場屋上の出口のドアまで約30m。なんとか道を確保しなければ全く歩いて進むことができなくなってきました。ながぐつなんてもう関係ない。腰まで雪にはまってしまいます。初めはスコップで雪をのけていたのですが、そんなことをしていると降り続く雪ですぐに道がなくなってしまいます。今は道を踏み固める方針に切り替えました。しかし、これでは道を一歩踏み外すとそこはまるで落とし穴。「この辺に道を作ったはず。」という感が要求されます。さらにレーダの命である導波管の周りの雪を丁寧に取り除いていたりすると、レーダエコーをじっくり見る余裕もありません。

そんなわけで、書きたいことは山ほどあるのですが、少し休憩。手取川降雪接写観測隊も予期せぬアクシデントが続き大変な目にあっていますが、昨夜と今夜をメインとして観測行っています。大東、高松、川畑、古川隊員、頑張って下さい。

また落ち着いたらご報告いたします。

 

 

(かなだ)「移動日1〜青レーダサイトへ〜」

 

【予定行程:アパート→大学→覚王山-(地下鉄)

        名古屋-(新幹線11:29)→米原-(加越12:10)

          金沢-(サンダーバード14:12)→羽咋-(普通)→宝達】

 

 昨夜から北陸地方は豪雪に襲われているようだ。

 現地の方に対して非常に不謹慎ではあるが、研究者の血が騒ぐ。

 豪雪をもたらしているのは、どんな雪雲なのか。

 対流性? 層状? Tモード? Lモード? エコートップは? 鉛直シアは?

……かなりコアな興味である。

 朝九時すぎ、再び北陸に向かうべく、アパートを出発。

 気ははやるも、いったん大学により、T助教授と東海豪雨2000

関する打ち合わせをする。

 1129分発の新幹線にぎりぎりセーフで乗車。

 あとは、米原で加越に乗りかえれば三時間でサイトに到着するはずなのだが……。

 このときは、まだ二日に及ぶ長旅になろうとは、考えてもいなかったのだった。

 

 12時すぎ、米原着、ここで加越の運休を知らされる。

駅員さんの「13時すぎのしらさぎに乗ってください」との指示。

 嫌な予感がしたので、弁当、お茶、お汁粉、非常食、ホッカイロをゲット。

長期戦のかまえ。

 案の定、、しらさぎは時間になっても入線しない。

 JR側の説明では「車両は米原にあるのだが、除雪のため北陸本線全体で運転を

見合わせている、運休ではない。だから、待て」とのこと。

 ラッセル車で除雪しなければならない上、すべての加越を運休に追い込み、

しらさぎの出発を数時間単位で遅らせている豪雪をもたらしているのは、どんな

雪雲……(以下同文)。

 不思議と焦りや疲労はない。

 車上からも雪の様子を見ることができるかと思うと、現地の方(以下同文)……

わくわくする。

 ナイスミドルのおじ様(後ほど北陸放送の方と判明)交代で、

吹きさらしの米原ホームで待つこと四時間。待ちわびたしらさぎが、やっと現る。

自由席を待つ列の先頭にいたおかげで、なんとか座る。

 しかし、やっと旅の入り口に立ったばかりだったのだった。

 

 出発してしばらく、進行方向に真っ白な対流性の雲が見える。

 雲の下には白いカーテン状の雪足が……と思ったら、猛吹雪きの中に突入。(高月付近)

 あっという間に、あたりは一面銀世界。

 わが携帯は、JMAレーダ画像を見ることができるのだが、見事に敦賀、福井、金沢

周辺に強いエコーが停滞している。

 おっと、線路上に電車が詰まってしまったため、停車。

 このような豪雪をもたらしているのは、どんな……(以下同文)。

 続いて、待ち合わせのため停車。運転を再開しても、吹雪で視界が見えないため、

徐行運転。

 外は吹雪なので、のろのろしていると、線路に新たな雪が積もるのでは?

 さらに敦賀を越えたころ、いきなり車両の明かりが消える。

 周波数の切り替えによる停電は、すでに終わっているのだが。

 車両には、業務用の車内放送がなぜかもれてきて、不安を誘う。

『電気が消えているぞ。どうした』『隣の車両はついているぞ』『故障か?』

 三度、停車、車掌さんにより、いったん回復したものの、再び停電。

一般向けの車内放送で『車両故障のため停電していますが、運転を続行します』

 そう、ここで止まったら、金沢はなお遠くなる。

 福井着、が、加賀温泉の手前で、いきなり停車。なんと美川駅のそばで踏み切り事故。

 ただでさえ道路が渋滞しているので、救援の車も近づくことができないらしい。

 約一時間後、発車寸前に他のホームから人がばらばらと駆けて来る。

「鈍行が運転見合わせになったため、しらさぎがこの先のすべての駅に止まる

ことになった」とのこと。

 かくて、各駅停車の特急で、雪景色を楽しみながら、ゆったりのんびり……。

金沢に到着したのは、夜の九時すぎ、出発から十時間。

 七尾線が全休のため、本日はここまで。

 金沢は、すっぽりと雪に覆われ、なお雪が降り続いていた。

 新潟で育った私も、あまり経験したことがないような豪雪だ。

 白魔の威力を、改めて思い知らされる。

 T助教授に予約してもらったMホテルにチェックイン。

 駅の真ん前だったので、疲れていた体には、とても楽でした。

「温泉へ行こうよ」コールとともに、どうもありがとうございました。

 

 今回、メールによる後方支援に多いに助けられ、励まされた。

 たびたび止まる列車の中で、疲労と焦りが募る中、いただいたメールに

なんと心和まされたことか。

 T先生、はっとり居残り隊員、出世隊員、川畑非常隊員、ありがとうございます。

 

 

2001年1月16日(火)

 

(出世)

やっと落ち着いたと思ったら、日付が変わっていました。シェルター泊、3夜目に突入です。

シェルターから屋上出口までの道もなんとか確保できました。でも定期的な除雪作業が必要です。導波管周りの雪も大変でした。もしスコップで勢いあまってボキッとやってしまったら、あの雨の中必死で一緒にレーダ設置作業をした坪木さんと先輩たち、そして北陸観測隊員の皆様に申し訳がたちません。特に、今回の雪が降り始めた日に名残惜しそうに名古屋に戻られた坪木さんには合わす顔がなくなってしまいます。赤レーダ亡き今は、なんとか青レーダを死守せねばなりません。そんなわけで、ある程度までスコップで除雪した後、自分に降りかかる雪をはらいもせず、両ひざをつき、軍手をつけた手でやさしく雪をどけてやりました。導波管のすぐそばでは、60cmものつららができていました。まるで「たらばがに」の足のよう。もう少し成長させてみたかったけど、もし導波管の上に落ちたら危険なのでしかたなく取り除きました。午前0時の積雪は97cm。なんと、古川さんが設置されたKADECの温度計を覆っているご自慢のペットボトル細工が雪に埋もれはじめました。これは大変。また新たに道を作り、KADECを無事救出しました。押水町役場には災害対策本部が設置されており、何台もの除雪車が忙しそうに走り回っている様子が役場屋上から見えています。役場には多くの職員の方が24時間体制で待機していらっしゃいます。道路には走れなくなった車が何台も放置されていました。あの金田さんをも吹き飛ばしてしまった暴風ではびくともしなかった町にも、この静かな大雪はかなりの影響と被害を及ぼしているようです。

 [雪と音]雪は音を吸収すると聞いていましたが、その事を初めて実感しました。役場の屋上では12時と17時にものすごく大きな音のサイレンが鳴ります。その時屋上にいると、たった30cmしか離れていない人とでも会話ができません。ところが昨日からのサイレンは驚くほど小さくやさしい音でした。思わず自分の耳の調子が悪くなったのかと疑ってしまいました。

17時、名古屋より約30時間かけて、青レーダ観測隊長の金田さんがレーダサイトに到着。本当にご苦労様でした。雪はまだまだこれからです。

 

 

(かなだ)「移動2〜レーダサイト着」

 

 翌朝も金沢は雪の中だった。

 出世隊員からの情報によると、七尾線はいまだ不通。

 少なくとも午前中は、全面運休決定との事。

 しかし、どういうわけか、あまり焦りや疲労はない。

 関西の方の言うところの「いらち」な私なのだが、むしろわくわくする。 

「こんな豪雪をもたらした」……ではなく、今は「こんな豪雪をもたらしている」

まさに現地の雲と触れ合っているのだ。

 十二時から金沢駅で、七尾線復旧を待つ。

 昨日も強く感じたが、電車を動かしているJR駅員内でさえ、かくも情報が錯綜

しているのはなぜだろう。

「いつ復旧するかわかりません。除雪中です。でも運休ではないので、待ってください」

 いつ、どこで、なにが、さえ、まともに受け答えできない情けなさ。

 たとえば、「除雪車が何時に●●を出発して、今◇◇にいます。運転再開はその後に

なります」とだけでも知らせてもらえれば、待たされている私たちも、かなり安心する

というものだ。

 「除雪中」が「踏み切り事故」にかわり、「ダイヤの遅れ」が時間のぎりぎりになって

「運休」なる。これは、乗客は大変困惑する。

 午後三時、七尾線復旧、ホームに走って、かろうじて座席を確保。

 この電車が出発したのは、さらに一時間あとだった。

 

 午後五時前、押水町役場屋上到着。詳しくは、出世隊員作成のアルバムに譲るが、

とにかく一面の雪、しかも、一メートル近くある。

 シャルターで、出世隊員と佐野隊員が、暖かく出迎えてくれる。

 二人とも観測が始まって、食事以外には宿にも戻らず、ぶっ通し観測をしていた

とのこと。疲れたら、機械裏の隙間に並べたダンボール上で仮眠をとったそうだ。

しかも、私が到着したとき、徹夜三日目にかかあらず、両名はぴんぴんしていた。

 すばらしい、すばらしい若さである。(←だが、無謀でもある)

 その夜も、徹夜観測。

 雪の接写観測のお手伝いで、毎15分に電話で気象状況とレーダエコーの様子をしら

せる。みんな生き生きしてがんばっているなぁ。

 夕食時、宿を往復したが、コートの上にたちまち雪が積もる。

 ほんの一時間で、レーダシェルターまでの道が消えてしまう。

 夜半、窓を開け、手を出したら、積もった雪が指先に触れた。

 

 この日のエコーは、南西から北東の走行を持つライン状エコーが停滞していた。

 レーダサイトより東の下層に、東風が入りこんでいる様子。

 陸風? それとも、能登半島の先端でdivertされた北風?

 この停滞エコーで、押水町付近にも60センチ近い積雪となった。

 そのほか、能登半島の西側にそって、非常に長い時間停滞した雪雲のダイナミクス

も気になる。

 

 

2001年1月17日(火)(ホントは水曜日だよね>作成者さん、by kana)

 

(出世)

気がつけばシェルター泊、4夜目。宿を予約する必要がないような生活になってきました。

でもお世話になっている山本旅館は料理もおいしいし、毎日7時と19時になると、朝御飯と晩御飯を食べる為に宿に帰ります。宿のおばさんも、「あんたら、いったいいつ寝とるの?」と心配してくれています。それは、「たまに寝ている」のです。そろそろ明日あたりは寝るために宿に帰れるかな。でも、まだそんなのんきなことを言っている場合ではありません。午前0時の役場屋上の積雪は、なんと120cm。雪かきをしていても、もう雪のやり場がありません。いったいいつまで降るのか、この雪は。昨晩救出したはずのKADECがまたもや埋もれている。あっというまにシェルターの窓から手を伸ばすと雪が触れるくらいまで積もりました。今夜のレーダエコーは、まるでスコールラインのようなはっきりとした対流性エコーが海岸線に沿ってずっと停滞しており、それに伴って押水では雪が降り続いています。1623時頃よりこのライン状エコーは時計回りに少しずつ回転したのですが、押水町上空からレーダエコーがずれることもなく、やはり雪は降り続いています。ちょっと不思議。金田さん曰く、「押水町が中心なのよー。」だそうだ。午前8時すぎ、朝ごはんを食べるため、いつもより少し遅めに宿に戻る。車道は除雪車によって綺麗に雪が取り除かれているが、歩道は全く歩ける状態ではない。肩より少し下の高さまでのふわふわの雪道、ちょっとだけずぼずぼと歩いてみたいような気もしたけど、「(雪を観測しにきた)学生さん」(役場でも宿でもそう呼ばれている)の名誉のためにやめておきました。

日中は昨日とは一変、気持ちよく晴れ渡り、町の雪景色や雪に埋もれている青レーダの写真などを撮りました。久しぶりにゆったりとした気分です。金田さんも、役場の屋上に積もった雪にダイブしたりして楽しそうでした。役場の人は「こんなひどい雪初めてだよ。あんたら来たからサービスだね。」とおっしゃっていました。夕食前、金田さんと佐野くんにレーダをまかせて、少し早めに宿に戻らせていただきました。2時間半くらい寝られる予定だったのですが、帰り道、町で唯一(?)の薬屋さんに寄り道したり、宿についたらテレビでやっていた「ビューティフルライフ」を20分くらい見てしまったので、結局久しぶりのお布団での睡眠は1時間半くらいでした。それでもすっきり、久しぶりに眠った気分になりました。夕食後、もう一度レーダに来たけれど、ほぼノーエコー。今日は朝まで自動観測です。

 

 

(かなだ)「鏡開きストーム〜そろそろ終息?」

 

 雪もやっと小康状態。

 朝食をとるために宿に帰り、ついでに仮眠。

 午後三時復活。

 もはや顕著な現象をもたらしていると思しき降雪エコーは見られない。

 この日の夜は、自動観測。

 

 

2001年1月17日(火)(ホントは1月18日木曜日だよね>作成者さん、by kana)

 

(若月@工事事務所)

今日は赤レーダの修理も終わり、青レーダにやってきました(本当は来る予定ではなかったんだけど…)。明日、雪がやんだら、アンテナにオイルを継ぎ足して変える(正しくは「帰る」だよね。By kana予定です。だいぶ雪もとけて歩きやすくなったらしいですが、まだまだ、雪はこんもり積もっています。青レーダにくると魚介類を食べる楽しみがあるんだけど、この大荒れで船が出られないらしく、楽しみもすこし減ってしまいました。とりあえず、青レーダは順調に動いているので安心です。

 

(出世)

雨と強風のため、積雪深は昨日にくらべてかなり減りました。今日の晩御飯はデザートにメロンが出てきました。金田さんと私と佐野君が食べ終わったあと、若月さんがわざとらしく、「あっ、食べるの忘れてた。」とか言いながらにやにやして「いる?いる?」と聞いてきました。「いるならあげるよ。」と親切そうにおっしゃいましたが、これはきっと罠にちがいありません。いったい、何をたくらんでいらっしゃるのでしょう。隣では金田さんが柔軟体操をはじめました。。。。それはともかく、

 

(若月)

そう。僕は本当にメロンのことをわすれていた。心やさしいみんなは、そんな僕にメロンのことを思い出させてくれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。お礼にそのメロンを食べてもらおうと思った。僕の精一杯の感謝の気持ちだった。それなのに、、僕は「罠」とかかれてとても悲しい。どうして、疑念をもたれたのか、僕にはとうてい理解できない。今夜はねられそうもない….

 

(出世)

なぜ疑念を抱いたかって?それは若月さんの顔にそう書いてあったからです。

 

(かなだ)

 はい、なにか企んでいる顔でした。私が柔軟体操(腰痛予防)をしているときも、大笑いしてたし。

 

(さの)

ぼくは先輩たち3人のやりとりを横で見ていて、いろんな意味での研究室内での結束を感じました。これからの研究室生活が楽しみのようなこわいような、ちょいと複雑な気持ちです。今も横からもこの日記の内容を強要されつつあります。坪木さん、どうかこの僕を自由の身にしてください。

 

<注:上記の文章には、ごくごく一部を除き嘘偽りは含まれておりません。>

 

 

(かなだ)「鏡開きストーム・最終日〜灰色は×、黒雲は○」

 午前中から昼過ぎまで、みぞれ混じりの雨。

 赤レーダサイトに電話で確認したところ、赤レーダサイトは雪。

 どうやら、能登半島の先端付近だけ、異様に気温があがっていることに

関係があるらしい。

 能登半島を通過中のメソLowのせい?

#でも、なぜここだけ気温が高かったのだろう? 教えて、T助教授! U教授!

 

 南西から北東の走行を持つ、幅10km前後、長さ80km前後のライン状降水システム

が北から南へ移動しつつ次々通過。

 通過前は弱風、通過後は猛烈な突風が吹く、の繰り返し。

 ラインを構成する対流性エコーは、青レーダサイト付近を北から南に通過すると、

急速に発達し、中には明確な渦を内包すると思しきものもあった。

 さらに、カデックで16m/s以上の強風を観測。

「もしかしたら、竜巻、再び?」

 デジカメを握って、シャルターの外に出る。

 狙いは、竜巻をもたらす雲、しかも、色は黒。

 灰色雲は×、黒雲こそ竜巻をもたらす潜在能力を持つのだ。

 でも、通過したのは、結局灰色雲ばかりだった。

 そのときの私は、同じころ、三国サイト海上で竜巻がもたらされていたとは、

考えてもいなかった。

 一月から、これで二つ目の竜巻! 今回の竜巻もばっちり赤レーダの観測領域内。

 十五年ぶりの豪雪に竜巻と、天気も今回の観測に大盤振る舞いしてくれている

のだろうか。

 

 夕方、アンテナに油をのませてあげるため、手取川サイトから若月隊員到着。

 雪の中、軽油が入ったポリタンクを運ぶため、人間牽引車をしました、

とのこと。お疲れ様でした。

 

 

2001年1月19日(金)

 

(さの)

本日1424分、鏡開きstormの青レーダーの観測が終了しました。

今回の観測はホントに驚きの連続でした。中でも、記録的な豪雪が起こったときに、こうして観測の現場に居て観測できたことが一番衝撃的なことだったと思います。レーダーサイト近くにはエコー頂の低い弱いエコーが観測され、外では雪が静かにしんしんと、しかしやむことなくどんどん降り積もっていく様子がとても印象に残っています。また16日から17日にかけては今回の観測で反射強度の強い(MAX30BZ)バンド状のエコーを観測することができました。

そして、赤レーダのトラブルに遭遇したことですね。あれは正直焦りました。まさか自分の目の前で大きなトラブルが発生するとは夢にも思いませんでした。現在は修理されて快調に稼動しています。

いやー観測ってホントに何が起こるかはわかりませんなぁ。こういう現場に触れていろいろなものを得るんでしょうな。いまそれを強く感じています。

観測はまだまだ続きますが、これからの新しい発見や予想もしない出来事に遭遇することがあると思います。それを楽しみに、一つ一つの出来事を大切にしていきたいと思います。

 

ふぅ、今日は自分の言葉で日記をかけたぞ…

 

 

(かなだ)「レーダ調節日〜まさに嵐が去った後」

 

 さの隊員の日記を見ると、まるで先輩による後輩苛めが行われている、もしくは先輩同士の仲が悪いような

印象を受ける方がいらっしゃるかもしれませんが、それは誤りです。

 さて……。

 

 朝、目覚めると雪。

 朝食を終えて、レーダサイトへ。

 能登半島沖に、能登半島に平行な走行をもつ、弱いライン状エコーが停滞。

 ずっと停滞。upwind blockingの効果だろうか。

 十一時、カデックのデータ吸い上げのため、古川隊員が手取川サイトから到着。

 シャルター内は、隊員四人ですし詰め状態。

 わかつき隊員、レーダが止まるまで、仕事ができないので、機械裏で休息。

 と思ったら、昼過ぎに目覚め、目ざとくチーズマフィンを発見。

「いいもの、見つけ」と平らげたあと、「でも、四つ入りでなんで一つだけ

余っていたの?」などとほざく。「三人で一つずつ食べた」と説明しても、

にやにや笑うばかりで、納得していない様子。

 どうあっても、物語にしたいらしく「マフィン物語を執筆する」といきまく。

 が、昼食後、アンテナにオイルをさす作業に移行してしまったため、かなわず。

 主なイベントが終了したので、いったん撤収。

 しかし、佐野隊員は「残りたい」とみずから志願。

 午後五時半すぎ、宝達駅発。

 しばしさよなら、押水、さよなら、青レーダ。

 

 明日は低気圧が通過予定。前線が通過すれば、竜巻三度も夢ではない。

 黒い雲だ、黒い雲を狙うんだ。

 佐野隊員が、てきとうにがんばってくださることを祈る。

 

 

 

 「南岸低気圧がやってきた」編

ここからは120日から21日にかけて太平洋岸を通過した

南岸低気圧による現象の観測中における日記です。

 

2001年1月20日(土)

 

(さの)

今日は朝から曇り空。けれども雪や雨は降ってません。お昼頃からレーダーを回そうと計画をして、午前中はメルシーへ備蓄食料の買出しに行きました。インスタント食品、お菓子などを購入しました。けれども、すぐ底につくのは時間の問題でしょう。

さてさて観測が開始してまもなく、雨が降り始めました。ベロシティ頂の高さ(約6〜7km)とintensity頂の低さ(約1km)のギャップに驚いていた頃、名古屋に戻ったFさんから電話がきました。なんと名古屋は大雪でどんどん積もっているそうです。「雪が名古屋まで着いてきたぁ。」と叫んで(?)居ました。その後、Kさんからのメールによると10センチ程度積もったそうです。ちなみにアメダスデータによると名古屋の積雪深は18時現在10センチでした。

この時間、青レーダーサイトは弱い雨が降り続いています。先日の鏡開きストームとは大きな違いです。しかも悪くなく、あられも降らず。そうそう、旅館の女将さんは「雨が降ると雪が溶けるからいいねえ。」とおっしゃってました。雪が溶けるのはいいけれど、夜冷えて道路が凍ってすべりやすくなってしまわないかなと心配してしまう、自分でした。

そんでもって23時ごろ、自動観測にして旅館に戻ろうとしたところ、北西がバンド状のエコーがレーダーサイトに向かって接近!しかもMAX36dBZの領域もある!というわけで観測を続けました。「いよいよ雪になるのかなあ」と思っていたところ、なんか変だ。さっきより暖かく感じるのはなんだろう。そしてエコーが通過。そのときの外の現象は、雨。アメダスデータを見ると2023時の羽咋の気温は+5℃。22時のときに比べて4℃上昇していました。約1時間半程度でバンド状のエコーが通過したのですが、あられも雪も降らず、雨だけが降って通過してしまいました。

でもって、旅館に戻り布団の中でおやすみしました。

 

2001年1月21日(日)

 

(さの)

夜中、強風で目がさめました。とても強く吹いていました。後で調べてみたら10m/sありました。

朝、久しぶりに青空を見ました。うーん、青い空にお天道様。やっぱりこれだねぇ。気持ちいい。元気が出るよ、ホント。北陸に来て初めて出会うおだやかな天気でしょうか。

それはそうと、名古屋のほうはどうでしょうか?昨日は10センチまで積もったそうですが。でも、今日は晴れということなのですぐに溶けることでしょう。こちらは先日の大雪による積雪がもう3分の2ほどは溶けたと思いますが、まだまだ残っていますよ。ところどころ凍っているから滑らないように注意せねば。